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この夏見た最高のヒーロー映画3作

7〜8月には5本の映画を見た。
パワーレンジャー銀魂、HiGH&LOW THE MOVIE2、スパイダーマン:ホームカミング、ワンダーウーマンだ。
どれも面白く、この夏はすごいなと感じた。
その中でも、特にパワーレンジャースパイダーマンワンダーウーマンのヒーロー映画は最高のものだった。



まず、パワーレンジャーである。
これは日本の特撮、スーパー戦隊が海を渡りアメリカで作られたものである。トランスフォーマーのような逆輸入ものだ。

知り合いに誘われて観に行ったもので、全く乗り気ではなかった。
ところが、結論からいうと、そんな態度で見に行った私が本当に恥ずかしい。

セクシュアリティや障害、家庭の事情、そして自らの過ちによって周囲から孤立したティーンエイジャーの、自分と自分の大切なもののために立ち上がり、戦う姿に強く感動した。

ストーリーとして言えば偶然同じ場に集まった若い男女がスーパー戦隊として戦うという王道のものだが、その「偶然集まった若い男女」に対して「子供やティーンエイジャーにこそ見て欲しい」という意識が強く現れていた。

パワーレンジャーの5人は、リーダーとなるアメフト部のクォーターバック(アメリカの高校における超人気者の代名詞)のレッド、チア部(これも超人気者の代名詞)のピンク、自閉症スペクトラムの黒人少年のブルー、レズビアンであることを家族にも告白できず、さらに転勤が続き友達がいないイエロー、不登校の不良と思いきや病気の母親の面倒を見ているアジア人のブラックで構成されている。

私がまず触れたいのは、アジア人のブラック、ザックについてだ。
アジア人はこれまで、多くの作品で「頭が良くて真面目」「そうでなければ作品のマスコットキャラクター」のような扱いが多かったように思う。
ティーンエイジャーを中心に人気を博し、ティーンエイジャーにとってリアルな差別問題など問題と向き合ってきた作品「glee」に登場するアジア人ですら、2人とも「頭が良く真面目」というキャラクターだった。

それがパワーレンジャーでは不登校である。

もちろん、それにも理由があるが、このようなアジア人がティーンエイジャーに向けて描かれることにかなりの意味があると私は考えている。
アジア人だって不良になるし、アジア人だって儒教的な人もいれば儒教的じゃない人もいるのである。

また、パワーレンジャーでは、アメフト部のクォーターバックとチア部の「勝ち組」である白人の男女が、自らの過ちにより勝ち組の立場から転落し、勝ち組ではないセクマイや障がいがある少年、不登校の不良と出会うことで、自分が何者であるのかということを見つめ直すというテーマがあるようにも感じられた。

白人だろうが黒人だろうがアジア人だろうがセクマイだろうがどんな家庭事情があろうが、大切な人やものがあるし、みんなバラバラでも力を合わせれば街を救えるのである。

パワーレンジャーは、ティーンエイジャーたちに、もしかしたらその隣にいる知らない誰かが良き仲間となって、自分1人では立ち向かうことすらできない大きな何か(それは例えば、ジェンダー問題かもしれないし、それとも交友関係の悩みかもしれない)に一緒に向かっていけるかもしれないというメッセージを伝えてくれた。



そんな若者への強いメッセージ性を受け取った私が次に見たヒーロー映画は、スパイダーマン:ホームカミングである。

これで3作目となるスパイダーマンは、大天才Sony様がMCUに協力してくれたおかげで、全く新しいスパイダーマンとなって帰ってきた。

これまでの「ヒーローであるが故の責任の重さ」を描くのではなく、このスパイダーマンは楽しく、そして早く一人前になりたい15歳の少年であるという点を軸に描かれたエンターテイメント性の強い作品である。
ていうかみんなこれ見た!? 見てない!? 早く見て! 話はそれから! と言いたくなるくらい、楽しい作品であった。

仲間と協力して最大のパワーを発揮するパワーレンジャーとは異なり、使命を負った大人のヒーローたちに肩を並べ、1人のヒーローとなるのがスパイダーマンの物語であった。

両親を早くに失い、メイおばさんと暮らしているピーターは理系の名門高校に通い、さらに成績も上位だが、大学進学をする気はなく、早く「一人前」になることを目指している。
どれだけやっても周囲からは子ども扱いをされること納得できないピーターは、徐々に大きな事件を追い始めるが、失敗してしまう。

このことによる挫折が、ピーターを大きく成長させる。

とにかくこの作品では、スパイダーマンがどんなヒーローであり、ピーターがどんな少年であり、これからMCUの世界観をどんな賑やかなものにしてくれるのかという点に重きを置かれていた。
楽しく明るく「これから」に満ちたエモいヒーローの成長見逃すわけにはいかない。

正直アベンジャーズには飽き飽きしていたので(内部の喧嘩やギスギスが多くて)、急いでアベンジャーズ本編を追いかけようと思う。

そしていつの日か20世紀FOXMCUに協力してスパイダーマンデッドプールが共演する未来を願う。
スパイダーマンのマスクの下がグロいかも、みたいなセリフ、マジでありがとな。


そして最後に見たのがワンダーウーマン
えらい人が何人も「女性監督や女性主人公に面白い映画はムリっていうのはウソっていうのを証明した」と発言ている通り、とてつもなく面白くてかっこよく、そして「これがヒーローだ」と教えてくれた。

glee」に出演していたグラントガスティンつながりでDCドラマの「THE FLASH」が好きなのだが、DCEUではグラントガスティンではない。
ちょっとどうしようかなと悩んでいたけど、スーサイドスクワッドを見てから「もうこれはDCEU見るしかないぞ」と思った。

えらい人が何人もものすごく批判していたけど、私はあの映画が好きだ。
キャラクターのカラーリングとかギラギラした感じ、あとやっぱり何より狂ってるところが良かった。
ハーレイクインを大好きになる映画だった。

でもそんなスーサイドスクワッドに寄せられた批判とは打って変わって、ワンダーウーマンは大絶賛の嵐ではないですか。

そして実際見てみると、なるほどヒーロー映画として完成された作品だった。

ワンダーウーマンことダイアナは人間ではなく、人間に悪の心をもたらした神アレスを殺すために作られた神である。
ダイアナ自身はそのことは知らないのだが、小さい頃から戦うことに強い興味をしてしており、そしてついに人間界からアマゾネスの島・セミッシラに現れたスティーブを救うことで、人間界の惨状を知るのだ。

人間界に赴きアレスを殺し、人々の争いを止めることを決意したダイアナ。
ダイアナは、自分の生まれた理由を知らないにもかかわらず、自らの意思で人々を救う道へと進むのである。

そして、クライマックスであるアレスとの戦いでは、アレスがダイアナに「人間とは愚かで醜く、守るに値しない生き物である」と囁きかける。
罪のない人を傷つけ奪い合う、人間が起こした戦争の惨状を自分の目で見てきたダイアナは、アレスの言葉に心が傾きかけるが、スティーブという正義の心を持つ勇敢な一人の人間を思い出すことで、ダイアナにとって人間は愛すべき存在であることを思い出すのだ。

ダイアナは人間ではない。
だからこそ、ダイアナにとって人間は愛し守るべき存在なのである。
例え人間が愚かで醜く、歴史からなにも学ばず何度も奪い合いの戦争を起こす生き物だとしても、ダイアナの使命は、人間の善性を信じ、愛し慈しむことにあるのだ。
そのことで、人間に平和が訪れる。
そして、そのためにダイアナは戦うのである。

ワンダーウーマンを見たとき、私は「これこそがヒーローだ」と感じた。
ワンダーウーマンは、人間を愛し、人間の善性を信じ、それを証明するために戦うのである。

ヒーローとは、人間を愛し、人間の善性を証明するために戦うものではないだろうか。

真っ正面から「これがヒーローだ」と教えてくれたワンダーウーマンに、胸が熱くなった。

今年の夏見たヒーロー映画3作品は、それぞれ身近な問題に立ち向かう勇気を与えてくれたり、最高のエンターテイメントとして楽しませてくれたり、そしてヒーローとはなにかを考えさせてくれたりなど、とても素晴らしいものだった。

短期間でこんなに映画を見ること自体久しぶりだったが、映画の楽しさを思い出させてくれた。

マーベルやDC、そしてそれ以外にもアメコミ系ヒーロー映画の公開がたくさん待ち構えており、今から楽しみである。

特に、DCEUには私の推しヒーローであるFLASH単独映画の公開もあるため、今後も見逃せない。
はやく監督を教えて欲しいなあ。